幸せというものの最小限の基本は
たくさんのものや力を持つことではなく、
きっと今日と同じ明日が来ることだと思う。
明日のことは未知の未来だから願望に過ぎず、
記憶に新しい昨日と同じ日が今日もあるのなら
きっとそれを幸せと言っていいのだろう。
昔の人が「息災に」と挨拶したのもそのためだ。
人間には様々な今日がある。
穏やかだった昨日とは激しくかけ離れた今日を迎えた人は
この世界に夥しい数ほどいるはずだ。
自然災害で大切な人をなくした人や住む家をなくした人は
まさかそんな日が自分に来るとは想像しなかっただろう。
魔法があればそれを使って、今日と違う昨日の時を戻したいと強く思うだろう。
巡り合わせという表現では理不尽すぎる。
私たちには一度の人生しかない。
昨日と同じ日があとどれだけ続くのか誰にも分からない。
だから、どう生きたいか考えてしまう。
庭のトマトが今日も赤く色づいた。