今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

いよいよ函館の旅が始まった

函館の旅①

北海道旅行の初日、朝一番で近くの駅から電車に乗り込む。
あいにく外は雨が降っていたが、
北の方はまだ数日晴れが続く予報だった。

 

1駅目で友達と落ちあい新幹線駅へ向かう。
そこまではそれほど遠くない距離なのだが、
鉄道を使うとなると地方の支線ゆえ、
乗り換えの待ち時間が乗車時間と同じぐらいに長い。
最もそこまでは普段なら車で行く距離なのだ。

 

でも、滅多に使わない友達の交通カードに問題があって改札口が開かず、
結局ギリギリで新幹線ホームに立つことができた。
乗り換えの仙台駅構内でも半時間は待ったけれど、
列車の旅は乗り継ぎに余裕がある方が安心だ。

 

仙台や青森までは高速で行ったことがあるけれど電車では初めてで、
その先の線路も当然生まれて初めてだった。
だから、車内アナウンスから青函トンネルの説明が始まると、
何だか子供のように胸高まった。

 

幼い頃、海底トンネルを通ると、
列車の窓から魚たちが泳いでる様子を見ることができると信じていた。
だから、特別な思いが湧くのだった。

 

列車は幾つかのトンネルを抜け青函トンネルらしいところへ入った。
トンネルのずっと上の世界は海峡なのだが、
真っ暗な中、そんな実感はひとつもなくいつの間にか北海道の大地に出た。

 

連絡船の時代の人々は波に揺られてここを行き来したのかと思うと、
私のこのあっさりとした海峡越えの感覚とは全くかけ離れたものだったろう。
もちろん今が便利に決まっているけれど、
旅の重みは昔の方が何倍もあったに違いない。

 

北海道新幹線はそんな感じでさらりと私たちを蝦夷地へと運んでくれた。
終点の新函館北斗駅に降り立つと、そこは広い田舎に開発された都市のようだった。
駅構内ともいえる場所にホテルがあるので、
すぐに3泊のチェックインを済ませ、荷物を置かせてもらう。

 

さて、時間はまだお昼を過ぎた頃だ。
今日は函館まで在来線に乗って函館山を登る。
夜景が奇麗だと有名だけれど、まだ明るいお昼。
でも、とにかく歩いて登ろう。

北海道新幹線に初めて乗ることになった

 

北海道に新幹線を利用して行くことになった。
それはたまたま新聞で見た旅行会社の広告で見つけたものだった。
3泊4日のホテル付フリープランだった。
ホテルと電車以外は全て個人旅と同じである。

 

旅は団体ではなく個人旅行が好きだけど、
ホテルを選んだりするとかなり高くつく。
それでも、気ままにプランを変えられる魅力は捨てがたい。


新幹線だと飛行機より高いのに、ホテル付で5万円とは破格の価格だ。
スポーツクラブの仲間を誘うと、一緒に行ってくれると言う。
ひとり部屋だと高い追加料金が取られるのでこれは有難かった。


行先は函館だけれど、目的は山登りを1日入れた市内観光である。
友人も少しは山歩きに関心があるので私が詳細に調べてガイドしよう。

だから、躊躇うことなくネットで予約した。

 

北海道へは東京からだと大宮、仙台、盛岡、新青森と5つの駅を経由して、
4時間もかからず目的地へ着く。
はやぶさ」という新幹線だ。

 

私の住む北関東からだと仙台で乗り換えることになる。
待ち合わせ時間があるけれど、約4時間半の乗車だ。
これは「やまびこ」という列車名で、
仙台で「はやぶさ」に乗り換えることになる。

 

山仲間たちが北海道の登山計画をよくしているのに感心していたら、
こんなら早くに着くことができるようになったからか。
飛行機なら1時間半もかからないと思うが、
空港までのアクセスが面倒だ。

 

考えてみれば8年ほど前に新青森から開業しているのである。
360キロの距離に、しかも海底地中奥にレールを敷くなど、
普通の頭では想像もつかない。

 

こんなに早く北海道に着くなんて、
今浦島のような私は全く知らなかった。
この線はいずれ札幌までつながるらしいが、
当初の2030年完成を大幅に遅れているらしい。


去年の夏は往路は飛行機を使ったけれど、
帰りはわざわざ鉄道にした。
それでも、開業したばかりの長崎新幹線にはわざと乗らず、
博多のバスターミナルまでバスで行った。

 

往時を知っているものにとって、
変わり果てた路線を通るのは嫌だったからだ。
旅人の私は北海道に行きやすくなったけれど、
きっと地元の旅に関係のない人々にとっては、
様々な思いが錯綜しているのかもしれない。

 

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青春18切符はもうないのと同じ

青春18切符がすっかり様変わりして、
名称だけ留めて今までのものとは全く異なった切符になってしまった。
公共交通機関であるJRの企画担当者は利用者の現状を全く知らず、
自動化優先、改札駅員の利便さしか考えてないのだろう。

 

これまでは1枚の切符を買うと5回利用することができた。
つまり、ひとりなら制限期間の間、好きな日に5日利用することができて、
友達と一緒に1枚の切符を使うことができた。
それは、とても便利で格安な切符だった。

 

ところが、これからのものは何と購入者ひとりしか使えず、
しかも、連続する5日間に限ると言うから驚いてしまった。

5日続けて遠出する人がいるだろうか?
これが、青春18切符だとはもう言えないと私は思う。

 

地方に住む私たちは滅多に電車を利用しない。
老人に至っては最寄りの駅すら行ったことがないという人が多い。
どこまても玄関から車に乗って行くのである。

 

確かに車の方が購入費や経費は別として、
ガソリン代だけを考えるとしたら家族で乗ってもたかが知れている。
電車だとはこうもいかず、切符代は高くつく。

 

現に私なども四国や山陰の山を登るのに高速を走って行った。
現地で登山口からのアプローチを考えると、
人数で経費を割ればかなり安いくつくのだ。

 

でも、とある日、谷川岳を降りて来た年配の女性たちと話をした時、
彼らは東京から青春18切符とやらでやってきたという。
この切符が学生用だと思っていた私は、その時から買うようになった。

 

その頃は5枚の切符が切り離すことができ人に上げることもできて、
違う駅から乗っても待ち合わせることができた。
でも、そのうち同駅出発のみとなり、少し不便になった。

 

それでも、電車の旅をわざわざするために目的もないのに、
売り出しが始まると買っていた。
行先は買ってから考えていた。
それが、面白かった。

 

今年の春は友人を誘って熱海方面と横須賀の山に出かけた。
切符が12000円ほどだから、それを5回で割るととても安い。
普通に往復したのと比べると半分ほどになる。
これは一日限りだけれど遠くに行けば行くほど割安だ。


私はあまり遠くへは行かなかったけれど、
鉄道オタクの達人たちはかなり遠いところまで旅していたようだ。
私の場合、この切符を使うのは単なる遊びに過ぎず、
これがなかったら別に日帰りの旅のために電車に乗る必要はない。
とはいえ、電車が身近になったおかげで、
新幹線や特急電車での長い旅も増えた。

 

鉄道オタク以外の利用者は大方そんなものだろう。
なかったら日帰り旅には出かけない、それだけのことだ。
だから、今回の改悪でJRの季節限りの特別切符部門の収入は、
ぐんと減るに決まっている。


そうすると、また再び以前のような本物のサービスである、
青春18切符が復活するかもしれない。
そう願いたい私だ。

(写真 最長は静岡まで 最短は金額に満たなかった行田と宇都宮)

小骨が喉に刺さって高価な朝食となる

 

スーパーの鮮魚コーナーに新鮮なイトヨリが売られていた。
淡いピンクに黄色い線が特徴のこの美しい魚は、
西の方では良く見るけれど、関東地方ではあまり見かけない。

 

小さい頃、よく食べていたので懐かしく、
早速買ってきて翌日の朝に塩焼きにした。
甘い白身の柔らかい肉には小骨が多く、
口に入れるまでにしっかりと骨を探さなければ、
喉に引っかかってしまう。

 

だから、とても注意深く口の中に入れたのだけど、
何と最初の一口目にチクリと骨の刺さった痛みがした。
喉に刺さった骨はご飯を噛まずに飲み込んだら、
大抵のものは取れるはずだったのに、ずっと痛みが続いた。

 

鏡で喉の中を覗いたり、
吐げそうになるのを我慢して指で喉の奥まで探したりしても、
1時間ほど経っても息を呑むと小骨独特のチクリとした痛みが続いた。

 

仕方なく近くに開業したばかりの耳鼻咽喉科へ歩いて行った。
土曜日だったせいか朝から超満員で、
辺りの人っ子一人いないような住宅街とは雲泥の差だった。

 

案外早く1時間ほど待って番が来たので医者に事情を説明した。
すると、若い医者は私が言った場所辺りを光を当てて診察した。
骨が見えないと取れないと言われ、ドキッとしたけれど、
鼻からファイバースコープを入れると言う。

 

すると、骨が見つかり医者はピンセットでそれを抜き、
ガーゼに包んで見せてくれた。
それはとても細くて長さは1センチほどだった。

 

 

記念に持っていくように言われ、持ち帰ってよく見ると、
イトヨリの小骨はしなやかで弾力性があった。
そのためご飯を飲んでも折れずずっと刺さったままだったのだ。

 

1尾200円と格安の肴だったけれど、
初診料とファイバースコープ料、そして、手術(骨抜き)ということで、
2,900円の請求だった。
イトヨリは高級魚とあって実に高価な朝食となった。

 

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アジアの店でスパイスを買う

 

カレーを作る時、使うのは何種類かの香辛料だ。
クミンやコリアンダーターメリック、グラムマサラ等々、
それらの大袋をアジアのお店で安価に買っている。

ジャムやニンニク、ショウガなどの隠し味的なものと合わせると、
スパイスは10種以上は入れていると思う。
それでどうにか本場の味に近づくことができる。

家の近くにあるスパイスのお店はミャンマーの人が経営している。
毎年1、2度は訪れるのでいつの間にか顔なじみになって、
会話を交わすようになった。

彼は国にいる子供たちを日本に呼びたいのだが、
なかなか彼らにビザがおりないという。
ただでさえ彼は軍事政権の支配する祖国に帰ることができないでいる。

 

この国はずっと政権が不安定で軍がクーデターを起こした。
今でも悲しい内戦が続いていて、
若者がの命が奪われているようだ。

 

店主がミャンマー国内で差別されているロヒンギャかどうかは聞いていない。
少数民族の彼らはイスラム教を信仰していて、
仏教を信仰する人々から賤民扱いされている。
ミャンマー国内でも複雑すぎるのだ。
彼はひげを生やしているのでそうなのかもしれない。

 

日本にもその支部があるらしいが、
きっと彼らはしばらくは店主のように帰国できないし、
家族も呼ぶことができないだろう。

 

店に行くと、彼は家族の写真を見せてくれ、
独特の強面の浅黒い顔が優しく緩む。
今は国を越えてビデオ通話ができるのでいつも話はしているらしい。

 

買い物を終えてつくづく思ったのは、政治の大切さということ。
彼の国の周辺のタイヤシンガポールなどは安心して旅行ができる。
もちろん日本もそうだ。

 

それは国として当たり前のことなのだけれど、
いつ何時、そうした秩序が崩れる日が来るかもしれない。
国の行く末は自分たちが担っているのだから、
常に気を付けなければと思う。

 

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原始性を求めて山へ行くのに

 

山仲間から電話があり、とある山での体験話をしてくれた。
彼女たちの登山経験は豊富で、
その殆どが重たい荷を背負ったテント泊である。
その日は一泊二日の山旅だった。

 

今回はどうしても行程の都合で、
山小屋のテン場(指定されたテントを張る有料の場所)を使わなければならなかった。
ここはテント泊の予約は不要で、
仕方なく一人1500円の料金を払い、そこで過ごした。

 

ところが、朝になっていつもの山の朝のように朝食を食べ、
お昼の食事も作って茶を飲み少しゆっくりしていたら、
山小屋の人に早く撤収するようにと強く注意されたという。
周囲を見ると、自分たちのテントだけが残っていた。
確かに登山者は朝早く出発するが、撤収の時間までには余裕があった。

 

その山は有名な山の一つで、
休日となれば小屋もいっぱいになるほど人気の山だ。
そのため山小屋側も野営客を細かく管理したいのだろう。
彼らは好きな場所で気ままに山の一夜と朝を楽しんでいるので、
とても興を削がれたという。

 

私も季節に一回ほど彼らとそんな山旅をしているけれど、
森に囲まれた穏やかな稜線での語らいや宴は開放的で楽しい。
真夜中の月や星、木々のシルエット、静寂の空気など生き返った気がする。
大雨の音さえ平気だ。
外で一晩を過ごすと、人が実は野生の動物だったということが納得させられる。

 

最近は近隣の山々も山火事があったせいで特にうるさくなり、
「火気厳禁」とか書かれた張り紙があちこちにあって気分を害する。
そんな山中でコンロで食事の支度をしていると、
それを見たハイカーがやたらと注意してくる。

 

筑波山などでは頂上直下の広場にバーナー箇所が設けられ、
いよいよ山も下界の観光地のように管理されてきた。
それでも食事を山で作る登山者に気を使っているから良い方だろう。

 

人は原始性を求めて山に行くが、近代社会はそれを拒む。
与えられた場所でセオリー通りの行為をして、
全ての人間が同じ道を通るようになってしまった。


そんな世界は人間の未来を暗くしているとむ思ってならない。
管理されない行動の自由はもうこの現代では求められないのだろうか。    

 

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菜切り包丁は素晴らしい

 

料理をする時、私が主に使うのは菜切り包丁である。
菜切り包丁は長方形で先は尖っていないけれど、
ジャガイモの芽を取って皮を剥いたり、厚い白菜を切ったり、
繊細なキャベツの千切りなど大抵のことができる。

 

先の尖った万能包丁は元が厚くなっているので、
私の場合、細い千切りがうまく揃わないし、
妙に角度を変えなければ大きなものなど切り辛い。
同じ幅の平たい菜切り包丁なら簡単にできる。


ところが、毎日何度も使っていた菜切り包丁の根本が折れてしまった。
これはかなり前に合羽橋まで出向いて買ったもので、
刻印はされてないが、とても切れ味の良いものだった。

 

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10年ほど前に刃を差し込んである木の柄が腐り、
新しくつけ直してもらったのだが、
今回は刃そのものが錆びてボロボロになってしまった。

 

もう新しく買いたくはないので、
友人や趣味の仲間たちに使っていない菜切り包丁はないかと尋ねてみた。
すると、皆が菜切り包丁を使っていないことが分かった。
そもそも台所にないのである。
ひとりがこれはどうかと中華包丁を持ってきてくれた。

残念ながらこれは大きくて重すぎて使えない。

 

そこで、わが家にある包丁の種類を調べてみたら、
何と10本ほどはあって、自分でも驚いてしまった。
菜切り包丁以外に万能包丁、肉切り包丁、出刃包丁、麺切り包丁、
パン切りナイフなど10本近くあったのだ。
これらの出番は月に数回に過ぎない。

 

そんな中でも一日に夥しいほど使う菜切り包丁は優等生だった。
だから、木の柄がなくても刃の背をつかんで使い続けることにした。
それでも、他の包丁より切り易いから。