今日は人生初めての日だったなんて

好奇心がある限り心を文字で表すことは大切です。日記を書きます。

里子の花が立派に咲いて

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昨日、友達の家に行った時、「ほら、見て」と、

ラニュームの花のある場所に私を促せた。

洗濯場の端に大きめの植木鉢が置いてあった。

二つの鉢に植えられたその花はどちらもが立派に育ち、

可憐なピンクの花びらを咲かせていた。

 

この二つの鉢は一本のゼラニュームを挿し木で増やし、

それがそれぞれ立派な花を咲かせたのだという。

しかも、何とそれは、私が去年の秋にお土産に上げたものだった。

 

我が家の花はというと葉色も悪く貧相で、花も少ししか咲いていない。

冬の間、日の当たる窓辺で冬越しさせたゼラニューム。

こちらが親だというのに何という差だろうか。

里子に出した子が環境の差で立派になったという感じがしてならない。

 

肥料をたくさんやったのかどうか聞くと、

とりたてて変わったことはしていないという。

私はやり過ぎるほど上げたというのに。

それがいけなかったのか。

 

あらためて友人宅の庭を見ると、どんな花も立派に咲いている。

プランターに植えたキュウリさえ立派に伸びている。

私のやり方とどこが違うのだろうか。

 

彼女は一つ持って帰るように言ってくれたけれど、私は断った。

今更里帰りだなんて。

とにかくこの大きな差の理由が知りたかった。

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(写真 下の写真が我が家の鉢)

 

クルミ味噌を作ってみたら美味しいこと

友人が自分で作った「胡桃味噌」がなかなか美味しかったというから、

私もまねて作ってみた。

スーパーに行くと、

よく「ご飯の友に」という歌い文句で、

「何とか味噌」と名の付いた佃煮のようなものが売っているが、

私はそうした出来合いのおかずはあまり買うことがない。

 

でも、春に作るフキ味噌は大好きだし、

胡桃味噌も何だか食べてみたくなった。

 

そこで友人に作り方を聞いたら、案外簡単だった。

生の胡桃を適当にスライスして軽く乾煎りし、

みりんをかけ、最後に味噌と砂糖を入れて味を調える。

胡桃を切るのが大変なだけで、あっという間にできてしまう。

 

早速その手順で作ってみて味見をすると、これが何と美味しいこと。

お味噌が市販品ではなく手作りなのが良かったようだ。

 

出来上がりをへらで集めて小瓶に5本程度詰めたのだが、

1本はすぐに食べきってしまった。

白いご飯に乗せると癖になってしまい、正に「ご飯の友」だったからである。

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気を良くした私は、1本を友人に送って感想を求めた。

友人は届くとすぐに味見をしてくれて、

「お味噌が生きていて美味しいわ」との返事があり、創作意欲が高まった。

 

今度は、チリメンジャコやピーナッツ、ショウガなど、

その他考えられる材料を使い「何とか味噌」を作ってみようと思っている。

 

 

親切な人ばかりの森の公園

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今日やっと忘れ物を受け取りに行くことができた。

もう預かってもらってから二週間前も経っている。

私が何度も頭を下げると、係の人はにこやかに、

「届けてもらって良かったですね」と言ってくれとても感謝した。

 

せっかくここまで来たのである、今日は少し公園を散歩する予定だった。

忘れ物の受け渡しを終え、外に出ると、雨が落ちてきそうな空模様だった。

傘の心配をしていたら、「玄関の傘をどうぞ」と先ほどの女性が言った。

 

どうやら訪問客が忘れて行って、

そろそろ廃棄処分の時期になったらしい。

だから、わざわざここまで戻って返さなくていいと言うのである。

 

幸い雨は小雨がほんのちょっと降っただけで、

お借りした傘は杖の役をしてくれた。

散歩の途中で忘れ物を届けてくれた方にお礼の電話を入れると、

その人はとても喜んでくれて、

散歩のコースまでアドバイスして頂いた。

本当に親切な人である。

 

その人に電話で教わった道をどんどん登って行ったら、

1時間ほどした頃、岩壁から下って来る女性がいて、

話を聞くとその女性はここで親切な人と出会い、

ずっと励まされながら一緒に歩いてきたと言う。

とても一人じゃ歩けなかったと喜んでいた。

なぜだろう、ここには親切な人ばかりがいるのである。

 

バス停まで1時間歩いて、さらにバスを1時間待って都会に帰るという女性を、

私は駅まで乗せて上げることにした。

 

情けは人のためならずである。

朝のコーヒーを庭先で

朝早く目が覚めると、何か心が落ち着くいつもと違ったことをしたくなる。

普段だったら朝食の準備で忙しく、ラジオ体操もやる余裕はない。

でも、まだ日の出にもなっていないと時間はたっぷりあるのだ。。

 

そんな時は、周りはシーンとしているし、音を立てたりはできないから、

アルコールストーブで湯を沸かしコーヒーを淹れたりする。

コーヒー豆は挽いたものを使うけれど、

アルコールストーブはビールの空き缶に燃料を入れただけのもの。

やかんは百円ショップの缶を利用して遊ぶ。

 

たったこれだけでも私にとってはオリジナル。

このオリジナル感がこよなく心を癒してくれる。

それらを庭の丸太に置いてみる。

ままごとのようでもある。

 

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別にこんなふうに自作のものではなくても、

モノを捨てられない私の家には、それなりのブランドの品が揃っている。

でも、工夫をして作ったものには特別の味わいがあり、

市販の便利なものとは全然違うのだ。

 

時間を味わうひと時には手作りのものを使うのがふさわしい。

人によって癒され方はそれぞれだと思うけれど、

私の時間の過ごし方は忙しい人にとっては絵空事とは思うけれど、

これが私に許された贅沢なのだ。

 

ほろ苦いコーヒーの味が朝の凛とした風と共に身体に染み渡っていく。

まだ周囲の家も静かなままで、我が家もひっそりとしている。

ずっとこうした時を過ごすことができれば幸せなことだと思う。

 

そして、飲み終わると、

さて、朝ご飯は何にしようかと現実に戻るのだ。

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(写真 鯖の塩焼き、大根煮つけ、ワサビ菜の卵炒め)

 

後付けバックモニターを入れた

私の車にはバックモニターが付いていない。

車を買った時、ディーラーの純正ナビは付けたけれど、

バックする時に映るモニターを入れてもらうと、

価格が10万円も跳ね上がるのでケチってしまった。

それよりも、そんなものなくてもバックぐらいと思っていた。

 

ところが、去年の春先にうかつにも後ろを障害物にぶつけてしまい、

その後は、ずっとバックモニターがあった方が良いなと思っていた。

でも、後付けとなると、かなりの価格になるため頭を捻っていた。

 

最近は自分の家のガレージに入れるのにも何度も切り返すし、

いよいよ取り付ける時期が来たと決心した。

そこで、ネットの検索で簡単に取り付けられそうなバックモニターを探した。

 

幾つもの内外のメーカーがあり選ぶのに迷うほどだったけれど、

8000円程度の安いものを見つけた。

それは電源が1本で済み、シガーライターから取れるという。

 

注文したら三日目に送られて来た。

こんな時は電気や機械に強いS君に頼むことにする。

彼はバックドアが凹んだ時も裏ブタを剥がして、

凹みを力いっぱい押して見た目を良くしてくれたのだった。

 

どうやらリヤランプの配線に繋げば、

バックした時だけカメラの電源が入り、モニターが起動するらしい。

この製品は手元のシガーライターに電源スイッチがついていて、

その面倒な配線もしなくて済むようだ。

勿論購入する際も何が良いか事前にS君に相談もしていた。

 

電源をつなぎ、長い配線をパネルの中に隠してもらい、

面倒な設定をあちこち入力してもらって、

モニターに映る車両幅のラインも微調整してもらった。

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さて、これからバックが苦にならずスムーズにできるだろうか。

ちょっぴり期待してしまう私だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワラビの色に驚いて

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友人が送ってくれた山菜のワラビを軽く湯通しした時、

翌朝に見たその茹で水の色に驚いた。

あまりにも鮮やかなエメラルド色をしていたのだ。

それは、アクを抜くために小さじ2杯ほどの重曹を加え、

一晩寝かせておいたものだった。

 

重曹による化学変化なのかワラビそのもののアクの色なのか、

まるで透明水彩のようだった。

その美しい色水を捨てるのは宝石を捨てるように惜しくて、

しっかり写真に撮っておいた。

 

中国の漢など、紀元前を舞台にした映画やドラマを見ると、

その色の鮮やかさに驚くことが多い。

日本に文字もなかった時代だというのに、

衣裳や室内装飾や建物に原色がふんだんに使われているからだ。

色は富の象徴だったのかもしれない。

 

大陸では大昔から絢爛豪華な色を自由に使えたのだろうか。

そうした色は様々な自然のものから化学変化させて、

色のもとを作ったのかもしれない。

白黒写真からカラー写真、白黒テレビからカラー映像と、

人は色の再現を追求し、色は人を魅了する。

 

そんな意味で日々に色をつけるとしたら、

去年のコロナ騒ぎから、

社会や暮らしに色がなくなってしまったような気がする。

「生活必需品のみの買い物」、「不要不急の外出」などの言葉が行き交い、

灰色の日々がずっと続いているようだ。

人間は無彩色な暮らしにいつまで耐えられるのだろう。

 

ワラビの茹で汁の写真を見ていると、

そんなことまで考えてしまった。

コロナよ、早くどうにか去っておくれ、

心の中でそう強く願った私だった。

 

タイムセールは購買意欲を高めるみたい

アマゾンで買い物をして製品が届いたので、

その品のページを何となく開いて覗いてみた。

すると、驚いたことに、私が注文した時の値段よりも、

1200円も安く売り出されていた。

たったの三日しか経っていないのに。

 

「タイムセール」とか書いてあるので詳しく見てみたら、

数量には限りがあるらしく、

残っている数があと何パーセントだということが分かるようになっていた。

タイムセールゆえ残りの時間も示されている。

 

それにしてもたった8000円ほどの品物が、

1200円も値引きされているではないか。

そんなお得なセールがあることを知らなかった私はとても驚いた。

でも、だからといって自分の注文する品がタイムセールをやるなんて、

事前に知る由もない。

 

こうしたセールを利用する人は、

欲しいもののページを毎日何度も開いて確認しているのだろうか。

それが、タイムセールの対象になった時、

初めて注文に進むのかもしれない。

 

とはいえ、セールには時間が決められているので、

大して欲しくなかったものでも、安いうちについ注文してしまう人も多いだろう。

タイムセールとは消費者心理を刺激し、購買意欲を高めるようだ。

 

画面を見ていたら何か損をしたような気になる。

それは、ひとえに私がケチだからだ。